どうも、だいちゃん(∀)(@syusoretujitu)です。
私は1級身体障害者(人工透析患者)です。
この記事を書いている頃にはもう10年以上も1級身体障害者(人工透析患者)として過ごしています。
1級身体障害者(人工透析患者)と過ごしていると本当に様々なことがありました。
目次
1級身体障害者として過ごして思うこと
私の自分語りなんて面白くないかもしれませんが、お付き合い下さい。
私はもうすぐで、障害者として、人工透析患者として生活するようになって10年になろうとしています。
佐村河内氏は障害者になって10年間、スピーカーに張り付いて、どうにかして全聾でも作曲を続けることが出来ないか、と10年間悩みぬいたらしいですが(まぁ、嘘なんだけどね。)私は10年間、何をやっただろうかとふと思い出してみました。
3年間、半寝たきり状態だったけれど、モデルや役者として名前を売ろうとした
たまに書いていますが、いま話題の橋本環奈ちゃんの所属事務所で私もレッスンを受けたり、別の事務所に所属変更したり、地元の小さな演劇関連のことをやっている場所で演劇をやったり、路上ライブなどで音楽活動をしていました。
世の中の障害者に元気を与えることが出来なくて申し訳ないですが、病気には勝てずに全く歯が立たず、ただただ周りの脚をひっぱっただけのような気がします。
悔しく無いか、と言われれば悔しいし、いまでもそういった世界に未練がないわけじゃないけれど、現実問題、年齢的なものや身体への負担を考え、冷静に判断すると諦めざるを得ません。
自分の所属(細かく言うと、私と環奈ちゃんはレッスン先の事務所は同じでも、所属は違うんですがね。私の事務所のほうが大きいです。)していた事務所の子が全国デビューしていると、嬉しい反面、悔しい気持ちもやっぱりあります。
路上ライブなんかも、今はする体力がないですしね。
パチスロだけで生活をしていた時期があった
これはもう、完全に黒歴史なわけで、今ではパチンコ屋に近づくのすら嫌なのですが、障害者はなかなか仕事に就くことが出来ません。
ただでさえ、芸能人を目指していたような人間で、学歴も高校中退付きの通信制高校出身。その上、障害者だと一般の障害者より仕事に就きにくいんですよね。つぶしの効かないような生き方なので。
そこで、悪魔に魂を売るような形で、もともと趣味で打っていたパチスロ。それなりに稼げていたので、本格的に稼ぐようになって生活をしていました。
家があまり裕福でないので障害者年金は家に全部入れ、でも手元に現金がないと学校に通ったり、次のステップに進めないな、と思い、取り敢えず「現金」を稼ぐことに専念しました。
目標金額が貯まって、1年でキッチリやめて、パソコンの学校に通いだしたのがよかったのかなと思っています。ズルズルそんな生活を続けていてもいいことないですしね。
自分で言うのもなんですが、根は本当に真面目なんですよ。
生まれて初めてWindowsパソコンを買ってインターネット接続をした
パソコン自体は、小学生の頃にマッキントッシュを持っていて使っていたのですが、Windowsパソコンを買ったのは、20歳の、人工透析導入後です。インターネット接続もまた同じく。
”半”寝たきり状態なので、動けるときは外出なども出来たので引きこもりになることはなかったのですが、体調の悪いときに家にいても何もすることがない。
せめて、パソコンだけでも使い方や応用の仕方を覚えれば、将来何かしらの役に立つと思い、障害者になったころに入った一時金はそういったものに使いました。
この選択はかなり正解だったと思っています。
法律、簿記など、それ以外にもひたすら”勉強”をした
法律や簿記に限らず、日本語の語彙力を付けつる為に、感じの熟語集を暗記したり、英語の単語暗記、「シャドウィング」や「サイトシーイング」といった手法も取り入れて勉強をするようになりました。
『普通に高校に通って、大学に通い、就職をする。』
という”レール”からは外れてしまったので、勉強なんて必要ないだろうという気持ちもあり、まだ健常者? だった頃は勉強をあまりしなくなっていましたが、身体が悪くなって思い通りに動かない以上、「頭」を使って生きていくしかないという「焦り」もあり、キチガイのように勉強をしました。
普通なら、その治療だけで疲れてしまって頭が働かなくなる「人工透析」
1日5時間、週に3日。
この時間中に勉強をすることで、周りの健常者と差を付けることが出来ると思い、倒れそうになったこともありますが、常に勉強をしていました。
司法書士の通信講座のDVDを見ながら、参考書に印をつけたり、六法を引いたりもしました。
簿記や販売士などの資格は、透析中でも5時間勉強。帰ってからも勉強をしていました。
ここでの頑張りが、佐村河内氏の「スピーカーに10年張り付いた」部分に当たるのかな、と思っています。
元々、それなりに勉強の出来た方ですが、さすがに高校を辞めて(入り直して卒業もしているんですがね。)みんなが高校で勉強をしている間、仕事で車をいじっていたような人間は、さすがに真面目な人たちより学力も下がってしまっていたのではないかな、と思います。
今は、そのへんの大卒よりは、
「多種多様な経験をしてきた」
という部分も含めて、色々な知識が負けずにあり、そして自分自身の人生を自分で切り開いてきたので、
「行動力」
があると思っています。でも、大学に入り治せるなら入りたいという気持ちはいまでもあります。
1級身体障害者として過ごして思うこと 最後に
この10年で生活は変わったのか。
どちらかといえば、病気に関して言えばいい方向に変わったかな。
ヤブ医者から優秀な医者に担当が替わって、3年間の半寝たきりからも解放されました。
勉強をしているおかげで、あとはネットでの出会いで、
「雇われ以外にも生きる方法なんていくらでもある。」
ということも学ぶことができ、そしてそういう人たちと関わることで生きていく自信が湧きました。(ちなみに、フリーのプログラマーさんなどが多いです。)
頭のおかしい医療関係者に苦しめられもしたし、兄が国家公務員という立派な仕事をやめて家庭内に問題を持ち込んでもきましたけどね。それでも、10年も経つとストレス耐性も尋常じゃないくらい付くので(むしろ、感情が乏しくなったような気もしますが……。)耐えることが出来るようになりました。
何度も書いていますが、やっぱり人並み以上に、
「勉強が出来る。物覚えがいい。」
という部分を更に鍛えることが出来て、自分の”自信”につながったことは大きいと思っています。病気になったばかりの時は、本当に全ての自信を失っていたので。
でも、私はずっと自分に言い聞かせていました。周りから馬鹿にされ、使えない奴だと言われたり、時には某有名IT企業でパワハラを受けたりしていたときも、
『自分は大器晩成だ。だから今はまだ能力が開花していないだけ。病気だから開花が遅いのは仕方がない。でも、周りの罵声に負けて自分を信じることを辞めたらだめだ。だって、”自分”の本当の見方は、”自分”しかいないんだ。その”自分”が見捨ててしまったら、”自分”がかわいそうだろ? 誰を信じて生きていけばいいか分からなくなるだろ?』
こう言い聞かせていました。
今、まだ完全に復活、人生がうまく行っているとは言えないですが、確実にいい方向に向かっていると思っています。
どんな時でも、私から離れなかった「友達」
この存在はとても大きい。本当に人間は一人では生きていけない。
いつも、見守ってくれてありがとう。我が親愛なる友達。
(執筆/だいちゃん(∀))
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